今から約10年前、私はとあるステーキ屋さんのキッチンでバイトをしていた。
そこでは、焼き場は社員の1人が専門的に担当していて、バイトでも肉を焼けるのは限られた人だけだった。
焼き場以外は割と誰でもできる作業ではあったが、こと肉焼きに関しては、割と出世コース的なポジションでもあった。(といっても時給が上がるわけではない)
焼き場への挑戦
1年近くやってバイトにもだいぶ慣れてきた頃、社員さんから、そろそろ焼き場やってみない?と声をかけられた。
最初は焼き場の補助で入って、メニューの1つ1つ(牛以外にもポークやチキン、ハンバーグなど)の、準備から焼き方、提供の仕方などを教わった。
作業の1つ1つはそれほど難しいわけではなかったが、自分が焼いた肉がお客さんに提供されるというのは、結構な緊張感があった。
それでも補助でいるうちはそれほど大変ではなかった。
デビュー戦は突然に
ある日、シフトが足りないこともあって、「藤川君、明日のランチ、一人でやってくれない?」と言われた。
ついに来たかと思った。
かなり不安ではあったが、きっと大丈夫と自分で自分を励ました。
そして翌日のデビュー戦。
昼前のオープンは、いきなりお客も入らないのでまだなんとかなった。
しかし、12時に近づくにつれて、徐々にオーダーが溜まっていくようになった。
オーダーの発券機がピーピー音を出して、レシートを次々に吐き出していく。気はどんどん焦って、遅れを取り戻そうと、とりあえずひたすら冷蔵庫から肉や冷凍ハンバーグを出して焼く準備をしていく。そうこうしているうちに、鉄板に置いた肉を返すタイミングがわからなくなっていく。いくつか思いっきり失敗する。焼き直そうとして、他のオーダー用で出してた肉を使うから、どの順番で焼くべきかわからなくなる。気づけば放置してた冷凍ハンバーグが、焼く前にとけて崩れている。いきなりイレギュラーな目玉焼きとか揚げものとかのオーダーが入る。付け合わせやソースがいつの間にか無くなっててるけど、次のやつを準備してなかった。ホールの人から催促の声がかかる。発券機はピーピー鳴ってる。
何からどうやっていいのかわからなくなる……
もう完全にパニック状態に陥っていた。
最大にヤバい状態で、ようやく社員さんが出勤してきて交代してくれて、巻き返してくれた。
もうぼろぼろのデビュー戦だった。
職場の人はみんないい人だったので、別に責められることはなく、励ましてもらったのだけれど、結構ショックだった。
それでも、その後も継続的にやらせてもらえた。
(そもそも最初はみんなそんなもんだと知ってたんだろう)
最初は一人でやりつつ、ピンチになると代わってもらって、、、というのを繰り返して、ちょっとずつできるようになっていった。
悟りを開く
そうしてある日、いつものように肉を焼いてて、やはりピークで忙しくなった私は「あーもー無理!」と吹っ切れた。
その瞬間、ある真実に気が付いた。
肉を焼ける鉄板の面積は決まっているのだ!と。
つまり、どんなにオーダーがたまったところで、今焼ける鉄板の範囲以上の肉は焼けないのだ。
ものすごく当り前だけど、これに気づいたとき、目から鱗が落ちた。
“今ここ”に集中
振り返ってみると、肉焼きの手順はわかっているから、オーダーが入った瞬間にそのオーダーの肉を用意しようとしていたんだけど、3、4オーダー以上溜まってくると、次の肉、次の肉を用意しなきゃと考えてパニくり出して、今焼いてるものが疎かになってしまっていたなと。
だけど、そもそも物理的に今焼ける量には限界があるのだから、あまり先のオーダーを気にしてもしょうがなかったのだ。
そこに気づけたことによって、自分的には2オーダーずつ確実にまわしていくことが、一番サイクルとしてよいのだとわかった。
“今ここ”に無理なく集中できるようになったことで、不思議と冷静になり、臨機応変に対応できるようになった。
ものすごく集中力が続いて、平日ランチのピークも、割と一人でもいけるようになった。(たぶんゾーンに入ってたんだと思う)
以上が、私にとっての仕事哲学を見出したときのエピソードである。
いわゆる選択と集中
そもそも物理的なキャパは決まっている。
まずその現実を受け入れる。認識する。
その上で、限りあるキャパの中で何ができるか、を考える。
そうすると、今集中すべきものが見えてくる。
逆に、今やらないキャパ以上のものは、今考える必要はないのだ。
これはドラッガーが言うところの選択と集中ってやつではないかしら。
いずれにせよ、自分にとってこのときの気づきと感覚というのは、自分の仕事人生において大きな支えになっている。
その後いろんな仕事に就いたけれど、忙しくてパニックになりそうなときは、今でも思い出す。
焼ける鉄板の面積は決まっているんだ、と。
(2019/7/4 note「ステーキ屋のバイトで学んだ私の仕事哲学」より)