あらゆることは「エネルギー」として論じることができるのではないか、というのが私の考えである。と言っても、専門的な科学の話をしたいわけではない。(したくてもできないけど)
日常のいろんな物事や、感情や思い、価値、というようなものの本質は、たどっていけば「エネルギー」に行きつくのではないかと考えている。
そもそもエネルギーとは何か。
エネルギー(独: Energie、英: energy)とは、
1. (物理学)仕事をすることのできる能力のこと。物体や系が持っている仕事をする能力の総称。
2. 1. の意味から転じて、物事をなしとげる気力・活力のこと。活動の源として体内に保持する力。
3. エネルギー資源のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エネルギー
と定義されてはいるが、私が言うエネルギーとは、いわゆる熱であり、転じて価値である。
(エネルギーの差を以って、単にエネルギーと称する場合もある)
エネルギーを軸にした見方
たとえば、今Aなる人物が何かに感動したとしたら、そこに大きな感情エネルギーが生まれていることになる。その感動を伝えたいと思ってブログ記事を書いたとすれば、それは感情のエネルギーによってA自身を動かし、記事を書くという仕事をしたことになる。出来上がった記事には、そのときの感情エネルギーが、文章という形に変換され、表現されている。その文章を別のBなる人物が読んだとする。Bは文字データを読み取って、読みとられた内容は脳内で変換され、再生処理され、文章を書いたAの感動を再現することができる。
つまり、Aの感情エネルギーが、変換され、伝送され、Bにおいてエネルギーが再現された、と見ることができる。
もちろん、永久機関でない限り、変換・伝送には損失が伴うため、1次エネルギーは減衰する。なので、いかにして効率を上げるか、再現率を高めるか、といった検討が必要ではある。
ただ、このようにエネルギーを軸にした見方をすると、いろいろなものごとは連動し、関連し合っているのだなと感じ取ることができる。
そのことが、私にはすごくおもしろいのだ。
エネルギーには理論がある
そもそもエネルギーはその移動形態や保存形態によって様々に分類されており、力学や電磁気学などにおいて、科学的に論じることができるものである。つまり、各エネルギーにおける理論はすでに確立しているわけだ。
いろんな物事や感情や価値が、掘り下げるとエネルギーという形態に置き換えることができるならば、数学や物理学などの理論を使って、理解や問題解決などすることが可能だと言えるのではないか。
たとえば、「何かをやりたくてもやれない」という悩みがあったとする。これを力学的に言えば、慣性の法則や作用・反作用の法則と捉えることができる。何かをやろうという力が発生すると、それと反発する力が発生して、力が釣り合っていれば結果何も仕事はできず、現状という慣性のまま流れることになる。さらに、電磁気学的に言うと、これはまさにレンツの法則であり、自分というコイルにやる気という磁束変化が起きたとき、そのやる気を打ち消すようにやりたくないという気持ちの電流が誘導されてしまうわけだ。
つまり、理系の小難しくてよくわからない理論が、日常的なあれやこれや、普段思う気持ちなんかと、実は結びつけて考えることができるのだ!ということも、私にはすごく興味深いし、有用なことだと思うのだ。
記録=保存
以上を踏まえると、自分にとって、ブログで「価値を感じることを記録すること」は、即ち「エネルギーを保存すること」と同義であると言えるのだ。
なので、ウケるウケないはおいといて、いかに的確にエネルギーを保存できているか、再現性はどうか、というようなところに重きをおいた記事を書いていきたいと思う次第。