自分にかけられた呪(シュ)について

  • 2014.08.24
自分にかけられた呪(シュ)について
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陰陽師(おんみょうじ): 1
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昨日、絵の練習しててふと気づきました。


これ、内容的にまんま勉強じゃん。

絵の練習と言えば聞こえはいいけど、好きなことやってるぜーじゃなくて、勉強しようとしてるだけじゃん。

作品描くのがテストだとしたら、テスト後にもっと勉強しとけばよかったと後悔してるのと同じ状況なんだ。

今回は珍しく、テスト近くないのに勉強しようとしているわけだ。

毎日勉強したほうがいいのはわかってるけど、でも基本的にやらないしゲームやっちゃうし。

なるほどね。

だからといってもうやーめたという話ではないですけど。

そんなようなことを考えていたら、過去の記憶が呼び起こされました。

僕の古い記憶の一つに、父に絵を描いて見せたエピソードがあります。

 

あれは幼稚園に入る前だから、きっと2歳かそれくらいだったと思います。

その日は珍しく母のほかに父もいて(たぶん日曜日)、僕は父に絵を描いて見せようと思いました。

幼児の描く絵なんてぐちゃぐちゃで、何描いてんだかよくわかんない代物じゃないですか。

例に漏れず僕もそんなものを描いたわけです。

 

親なんて、子供がどんなものを描いたって、よく描けたねーと褒めるものじゃないですか。

2歳ぐらいの僕はなぜかそれを認識していました。

前にそんな絵ともつかないものを母に見せて褒められた記憶があったのでしょう。

だからきっと、父も褒めてくれるだろうと思って、「ぼく え かけるよー」と言って、ぐちゃぐちゃーと描いて父に見せました。

ところがです。


父は全然褒めてくれませんでした。


それどころか、絵についてダメ出しをしてきました。

なんだこれは、と。何を描いているのか全然わからん、と。

 

もうびっくりですよね。

完全に予想外の反応です。

褒められると思ったのに怒られてるわけですから。

 

何を描いたかと訊かれても、別にモチーフも何もないわけです。

正直、何描いてもいいだろうという気持ちでいたので、そんな安易さを突かれたようで、ちょっと後ろめたい気持ちになりました。

でもしょうがないから適当に、「え、あ、くるま?」と答えてみました。

そしたら「車はそんな形じゃないだろ」「どんな形かわかるだろ」と言われました。

いや、そうだけど。別に車のつもりじゃなかったし。

と心の内にふてくされながら、しょうがないから今度は真面目に、長方形を二つくっつけて車体を描いて、タイヤの丸を二つ描いてみました。

くるま1

これでいいかなと思ったら今度は、「それじゃどっちが前かわからないだろ」と怒られました。

ええー?とちょっと泣きそうになりながら、前と言えばライトかなと思い、描き加えました。

くるま2

もういいだろうと思ったら、「まだ何かあるだろ」と言われました。

いやいや、ちょっと2歳児に求めるレベル高すぎね?

遠くでやり取りを聞いていた母が、「なんでもいいから褒めてやればいいじゃない」と言ってるのが聞こえました。

そうだそうだ、と思いつつ、そうか前に自分が描いたやつは適当に褒められてたのかと気付いて、傷つきました。

そんで、車はあとどう描いたらいいんだろうと悩み、手が止まる僕はもう泣いていました。

「どうした、こんな絵じゃだめだぞ」とプレッシャーをかけてくる父。

泣いても許してくれないらしい。


見せるんじゃなかったと思いました。

 

「車の後ろに何かあるだろ」と言われ、僕はマフラー(そのとき名前は知らない)を思い浮かべました。

そんで小さい長方形を、車体の下にくっつけてみました。

くるま3

「うん、それでいい」と言われました。

これが正解なのか?こんなんでいいのか?もっとなんかあるんじゃないのか?

と思ったものの、他にどう描くべきか思いつかないし、そもそも今の自分に描けるのかという話です。

とりあえず父から絵の及第点がもらえたことで、ようやく解放されたのでした。

 


ていうか子供相手に何ダメ出ししてんだよ!いいから黙って褒めとけよ!
と、父に対して腹立たしく思いつつ、でも、前にちゃんと描いた(つもりの)絵は、テキトーに褒めたんだなと、母に対して悔しさも感じつつ、複雑な心境で、ぼろぼろ泣きました。

 

僕はそそくさとその場から去りつつ、二度と父に絵を見せるもんかと心に誓いました。

(ちなみにその後僕の描く車には、しっかりとマフラーが取り付けられるようになりました)

 

 

というわけでこの一件以来、幼稚園入る前から今までずっと、絵はちゃんと描かなきゃいけないというプレッシャーにさらされてきました。

そして、人目にさらす絵はちゃんとしていなければ、自分が傷ついてしまうというトラウマを抱えるようになりました。

当たり前のことように、自然なことのように絵を描くなんて土台無理な話で、僕にとって絵を描くことは、いつだって特別なことでした。

楽しんで描いた経験なんて、たぶん両手で数えて足りるくらいです。

 

じゃあなんで、今もこうして、頑張ってまで描こうとしているのでしょうか。

もはやこじらせ過ぎてよくわからないのですが、理由の一つとして、“父”に認められたいからだという気がします。

それも、本物の父というよりは、自分の中の父的ペルソナというような、そんな存在に認められたいのです。

 

つまりは、自分で自分を肯定してあげたいのだと思います。

 

そんなわけで、今日も今日とて、自らに勉めを強いるのでした。

 

いやはや。

難儀ですね。

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