自分はこれまでいろいろ絵の練習をしてきました。
そして始めるたびに、中途半端にやらなくなっていきました。
結果、多少は画力の向上はあったものの、いまだ絵に自信が持てません。
絵を描いて発表することが怖いのです。
恐怖の本質
怖いってどういうことでしょうか。
恐怖の本質にあるのは、「恥ずかしさ」です。
うまく描けない → 人に見せると恥をかきそう → 傷つくのが怖い
なのかなと。
でも逆に言えば、ちょっといいかもと思えたら、人に見せてもいいかなと思う、ということです。
むしろ見てもらいたいというか。
つまり自己承認欲求ですね
人から認められたいという欲求があるのです。
自信のない絵だと、人から否定されそうだから、見せたくない。
自信のある絵だと、人から褒めてもらえそうだから、見せたい。
おお、なんという子供っぽさ。
でもシンプル。
結局、突き詰めたらそういうことなんだなと思いました。
以上を踏まえて、今回のテーマです。
絵の練習を始めました。
いかに絵の練習をするかというのは、自分の年中行事というかもはやライフワークになっております。
しかし、今回はこれまでとは違うぜ!と、思っているのです。
画力レベルの推移を振り返ってわかること
画力が大きく向上した時期が、過去に2度ありました。
- 最初は、2007年のお絵描きお遍路の旅です。
- 2度目は、2008年の漫画の専門学校時代の、デッサンの授業です。
どちらにも共通して言えることが2点あります。
- とにかくたくさん描いた
- とにかくちゃんと描いた
ということです。
たくさん描くことについて
物事の上達に関して、数をこなす、というのは必要不可欠な要素です。
しかし続けるのはなかなか難しいことです。
コツは2つあります。
ひとつは、外的強制力です。
つまり、描かなければいけない環境を整えることです。
お遍路は描かなきゃ次に行けない、という条件だったし、学校の授業も受けなければなりません。
だから何かそういう場に身を置くのは有効な手段であると考えられます。
ただ問題があって、慣れないうちは相当な負荷がかかります。
もう日夜それに心も身体も占有されてしまいます。
だからこそ良い、修業になるじゃん、とも考えられますが、残念ながら会社員をしている自分には、絵だけに心身を奪われている余裕はありません。
時期が来たらやってもいいかもしれませんが、今は却下です。
自分の状況に適した強制力を設定することが肝要です。
もうひとつのコツは、数を目標にすることです。
100枚描くとか、100日続けるとか、5分で描くとか、なにかしら数字を目標に据えると、行動の具体性が増します。
具体性が増すということは、客観性が増すということであり、進捗が可視化できるということです。
これはある程度数が溜まってきた頃から、特に効果を発揮します。
数を重ねること、それ自体が楽しくなってくるのです。
ポイントは、短期的な区切りを設けることです。
例えば、100を目標にしたとして、1から100までコツコツ頑張るのは、なかなか骨が折れます。
でも、まずは10頑張ろう、とか、次は30までやってみよう、みたいな、程よい区切り・近目標を設けていたほうが、モチベーションは持続しやすいです。
うん、これは使えそう。
ちゃんと描くということ
恥ずかしさとの葛藤と、納得の追求から導かれるもの
テキトーに描いたラクガキというのは、けっこうどうでもいいので人に見せても全然恥ずかしくありません。
同時に、画力向上にも結び付かないし、納得も得られません。
頑張って、ちゃんと描こうとすればするほど、どうでもよくない絵になります。
そうするとどんどん恥ずかしさは増していきますが、しかし納得感も大きくあれば、救われます。
恥ずかしさは、質とイコールではないのです。
納得感という重要なパラメータが絡んできます。
実は、大事なのは、質の高低でも、納得感の多寡でも、恥ずかしさの大小でもないのです。
質と納得と恥を掛け合わせて割り出される、公開時の心理的ダメージです。
自分は人に認められたいという欲求がある。
そのためには絵を見せなければならない。
そのとき、この心理的ダメージがいくつか、それが重要だったんです。
羞恥心というHPがあって、絵を公開するたびにダメージを受けます。
致命傷を受けない程度のダメージに抑えなければならないのです。
絵の質も低く、恥ずかしさも大きい、それでも、ある程度の納得感があれば、ダメージは抑えられるのです!
(この関係性はテストに出てもおかしくない気がします)
納得感の出し方
納得感はどうしたら高められるのでしょうか。
例えば、ぎりぎり絵を公開できそうなラインのとき、以下のような気持ちがあります。
頑張って描いてこれなんだから、しょうがない。
時間決めて描くという縛りだったんだから、しょうがない。
どうもへたくその言い訳にしか聞こえないのですが、この言葉の真意を掘り下げます。
どちらも「描く、と決めて、描いた、その結果がこれである」という内容です。
言いかえると、「意図して、行動して、結果が出た」となります。
これは非常に重要な要素です。
つまり、公開してもいいかという気持ちになれるのは、ちゃんと結果を出したからだと言えます。
そして、結果があることで、最初の意図とのズレがわかります。
そのズレを踏まえて、じゃあ次はこうしよう、という次の意図が生まれ、行動につなげていくことができます。
これをビジネス的に言えば、PDCAサイクルとなり、工学的に言えば、フィードバック制御となりますが、本質はどちらも同じです。
たとえどんなに質が低くても、描き切って残念な絵なのか、途中でやめて残念な絵なのかで、大きく違います。
描き切ることは結果を出すことなので、途中でやめた絵よりも、ダメージは小さいように思います。
結果を出すことで、その結果は次の挑戦への貴重な資料となるのであって、質の高低などどうでもいいのです。
それよりも、なぜそのような結果になったのかを振り返り、そして次に活かしていけばいいだけの話です。
ね?なんにも怖がることなんてないでしょ?
というわけで次回は、自分の編み出した練習方法について解説したいと思います。