今度引越をする。
横浜から埼玉なので、けっこうな距離だ。
よほどのことがない限り、もうここへは来ることはないだろう。
引越日が近くにつれて、これで最後、というのが増えてくる。
この部屋から出勤するのはこれで最後。
この通勤電車に乗るのはこれで最後。
この道を歩くのもこれで最後。
この美容院で髪を切ってもらうのもこれで最後。
この歯医者に通えるのもこれで最後。
このTSUTAYAでDVDとか借りられるのもこれで最後。
このコンビニで買い物できるのもこれで最後。
(うちの引越の数日後に閉店するようだ)
この洗濯機で洗濯するのもこれで最後。
(引越を期に買い替えるのだ)
この電子レンジで温めるのもこれで最後。
(壊れかけてるので処分するのだ)
この原付に乗って風を切るのもこれで最後。
(引越先には持って行かず処分することにしたのだ)
これで最後だと思うと、この地に越してきた5年前のことから思い出してしまう。
なんならさらに5年前、前に住んでた土地に越してきたときからのことを思い出してしまう。
いろいろあったなあと、いちいちしみじみしてしまう。
むしろ、あえてこれが最後なものを探そうとしているところがあって、積極的にセンチメンタルに浸ろうとしているようだ。
ただ、この感情は引越が終わったらすぐに忘れてしまうだろう。
きっと過去を振り返ることなく、これからの生活にフォーカスしていくに違いない。
だから、これは期間限定のセンチメンタルなのだ。
終わりがあるのだから、それまでに精一杯しみじみしよう。
そうすることが、せめてもの別れのあいさつなのかなと思う。
お別れスケッチ 5年間通勤に使ったスズキ Let'4