ユキさん 作・藤川S
黒猫が自分を見ている。一瞬わけがわからなくて、店の入り口で私は黒猫と数秒見つめあってしまった。「いらっしゃーい」店の女の子が空いてるカウンター席に案内してくれる。
ここは行きつけの小ぢんまりしたスナック。いつもいるはずのママがいなくて、代わりになぜかカウンターに黒猫が座っているのだった。
「今日、ママお休みなの。この子代理ママ。ユキさん」
紹介された黒猫のユキさんは、小さくみゃあと一声鳴いた。
ママは大丈夫なのだろうか、どうして代理で猫なのだろうか、他の客はどう思っているのだろうか、とかとか、疑問が浮かぶ。が、どう訊こうか迷っているうちに、いつも頼んでいるウイスキーを持ってきてくれた女の子は、他の客との会話に戻ってしまい、なんとなく言いづらくなってしまった。
とりあえず飲みだすと、微妙な間を察知したのか、ユキさんが私のほうに近づいてきた。頭をなでようとしたら、威嚇された。
「旦那、お触りはだめだよ~」奥のカウンターに座ってた客が、笑いながら言った。そ、そうなのか。恥ずかしくなって顔を赤くする私に、彼は「俺もさっき引っかかれたよ」と、ニヤッとしながら擦り傷のついた手の甲を私のほうに向けた。それを見て私もはにかんだ。
機嫌を損ねたと思ったが、ユキさんは再び私に近づいてきた。カウンターに伏して、尻尾を大きくぷらーんと振っている。ただそれだけ。そんな様を見ながら、私はグラスを傾ける。ユキさん。全身真っ黒。毛は艶々して輝いている。かわいらしいというより、凛々しい顔つき。どこかここのママに雰囲気が似ていなこともないような。
「美人でしょ」
女の子が私に言った。
「うん。なんていうか、いい女っていう感じがする」
「そう!そうなの!なんか他の猫とは違う感じ。美人オーラが出てるのよ。だからユキさんって呼ぶのがしっくりくるの」
熱っぽく語る彼女の言葉に、同意を示す。近くにいて、眺めているだけで、なんだか満たされる気持ちになる。この人(猫)がいるから、また来ようという気になる。なるほど、ママ代理足り得ているわけだ。
「それにしても、ユキさんって何者?ママの飼い猫?」
私は女の子に訊いてみる。
「あたしもよく知らないんだけど、ママは『親友よ』って言ってた」
「親友か……」
ユキさんは、今度は奥のカウンターの、さっき私に話しかけた客の近くに座っている。彼もまた、まんざらでもないような表情で、ユキさんを見ながら飲んでいる。
結局その日は、ちびちび2、3杯飲んで、店を後にした。
店を出るとき、ユキさんは、私が入店したときと同じように、カウンターに座ってこちらを見つめていた。最後に一言、みゃあと言ってくれて、なんだか少し嬉しい気持ちになったのだった。
数日後、再び店を訪れたら、ママが迎えてくれた。ユキさんはいなかった。どうやらママが休んでたのは3日間で、その間ユキさんが代理ママをしていたらしい。
「みんなあの人の話をするのよ。あたしよりあの人のほうがいいっていうの?」
冗談めかして言うママ。あの人とはもちろんユキさんのことである。
それからというもの、ユキさんはときどきお店に出るようになった。とはいえ、そこは猫、きまぐれで、いついるかわからない。私は、それでいいと思うし、それがいいと思う。いつだったか、そんなことをママに話したら、「わかってるわねぇ」なんて言われた。
今日も私は、ユキさんいるかなと思いながら、お店のドアを開ける。
そして私は、はっと息をのむ。胸がときめく。
カウンターに座った黒猫が、自分を見ている。
<おわり>