【掌編小説】ドロシーたちのたそがれ(1517文字)(2010.05)

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ドロシーたちのたそがれ   作・藤川S

 

その日、彼女は仕事から帰ってくるなり、僕に話しかけたんだ。

「今日会社で健康診断があったんだけど、レントゲン撮ったら、なんと私の胸の中が空っぽだったの!」

あまりに唐突だったから、すぐには理解できなかったよ。

「だから、空っぽなの。何もないんだって。この中」

彼女はふくよかな自分の胸を指差した。

「空っぽって……それは機械が故障していたとか、別の何かが写っていたとかじゃなくて?」

「うん」

にわかには信じがたい話だった。

彼女は、どこかすっきりしたような、さわやかな表情をしていた。久々に見た気がした。最近、彼女は何か悩みを抱えているようだったから。訊いても答えてはくれなかったけど。

「これで原因が分かったわ」

「何の?」

「最近何を見ても、何をしても、何も思わなくなってたの。あなたとご飯食べてもおいしくないし、一緒にTV見てても面白くないし、あなたと出かけても話をしても、何も楽しくないしそれに……」

「えっ、ちょっと、そんなこと思ってたの?」

ショックだったよ。同棲を始めて一年が経っていたけど、僕はうまくいっていると思っていたから。

「大丈夫、あなたが悪いんじゃないわ。悪いのは私のほう。はじめは鬱病かもって思っていたけど、そうじゃなかった。胸の中が空っぽだったからよ」

「どういうこと?」

「だから、心が無くなってたの。だから何も感じなくなっていたんだわ」

「そういえば、このところずっと忙しそうだったからね。まさに心を亡くしてしまったというわけか」

自分ではうまいことを言ったつもりだったけど、彼女は無反応だった。

「まるでブリキの木こりみたいだわ」

「何それ?」

「知らないの?オズの魔法使いっていう物語に出てくるのよ。ブリキでできた人形だから、心を持っていないの」

ほんの一瞬、そんなことも知らないの?と言いたげな、軽蔑するような眼差しを向けられたような気がした。

「それよりどうするのさ。胸が空っぽだなんて」

「お話では、心をもらうためにオズの魔法使いに会いにいくの。だから私も、ここを出て魔法使いのところへ行くわ」

ふざけているのかと思ったよ。

「ちょっと、何を言い出すんだよ。それに魔法使いって何さ」

彼女はもう笑っていなかった。

「私は本気よ。実はその魔法使いにも来てもらってるの。入って」

彼女は部屋の外に向かって声をかけた。扉が開いて、見知らぬ男が現れた。三十代前半くらいの整った顔立ちで、スーツをびしっと着た、なんかいかにも仕事ができそうな、いけ好かない奴だった。

「やあ、どうも。魔法使いとは照れるな」

「だ、誰だ、あんたは」

「小津(おづ)さんっていうの。彼といると胸がいっぱいになって、いろんなことが楽しくて、幸せを感じるの。私にとって魔法使いよ」

「そんな」

それじゃね、と言って彼女は僕に部屋の鍵を放り投げると、オズとかいう男と、うふふあははと笑いながら、部屋を出て行ってしまった。

彼女は僕を捨てたんだ。

 

僕は半月前の出来事を、友人の鈴木と佐藤に話し終えた。実は彼らも、小津に妻や彼女を寝取られていたのが発覚した。居酒屋に集まって僕らは愚痴を言い合っている。

「気持ちはよくわかるぞ」顔を赤くして鈴木は言った。

「何なんだよ、小津って。意味わかんねぇ」佐藤はビールジョッキを荒々しく置いた

愚痴を言い合っているうち、僕はふと最近読んでみたオズの魔法使いを思い出した。僕らを捨てていった彼女達は、何かが欠けていると思っていた。ブリキの木こりであり案山子でありライオンであったのだろう。さながら僕らはドロシーか?

「小津は魔法使いというより、西の悪い魔女だな」

僕のつぶやきが聞こえたのか、鈴木が言った。

「魔女というより、魔(間)男だろう」

 

(おわり)